番外編2『季節と戯れる者』夏




 夏だ! 海だ! 水着だ! などというのは幻想――叶うことのないファンタジーである。夏らしい遊びをしようと誘われ向かった先は森の中。青々とした木々からは、うんざりする程の蝉の声が聞こえていた。
 それら騒がしい虫どもを目で追いつつ、俺の親友こと鵬塚真依は瞳を輝かせていた。
 そして、彼女の傍らには速水尚子と鵬塚兄こと鵬塚永治がいた。
「富安くん。いい加減、機嫌を直したらどうだい? 確かに可愛い真依の水着姿を見たかったという気持ちは分かるが……」
 ばっ! 何言ってやがる、この馬鹿兄は!
「違うっつーの! この暑い中、虫取りなんて疲れることしてられっかっつーことだ! 海で涼やかに過ごした方が有意義ってもんだろ!」
「有意義を求めるなら受験勉強しなさいよ。あんた一応受験生よ」
 現実的で鬱陶しいことをいうのは尚子。遊びに来た時くらいジュケンのことなど忘れたいのが人情というものだろうに。適当に無視しよう。
「時に、岬とクロードはどうした? このメンツならあいつらも誘ったんだろ?」
「ったく。都合の悪いことはこれなんだから」
 ぼやいてから、尚子は応える。
「岬は母方の田舎へ行ってるそうよ。クロードは例の如く『面倒くせぇ』のひと言で一蹴」
 ふぅ。
 なるほど。確かに後輩の岬俊耶は以前、京都へ行く、と言っていた。そこが田舎なのだろう。土産に期待しよう。是非ともゲイシャガールを要求したい。
 そして、転校生クロードの付き合いの悪さはいつものことだ。部活の出席率はよいが、それ以外の誘いには十中八九やってこない。マイペースというか何というか。
 とはいえ、今回ばかりは気持ちがよく分かる。なぜに暑い中、虫取りなどせねばならないのだ。小学生じゃないんだぞ。
「……ぶと……わが……かな……?」
 小学生よりも純真な瞳を輝かせ、鵬塚が言った。蝉が飛び立つたびに首を忙しく動かし、正体の知れぬ某かが地面を這った場合にも同様に首を旋回させる。
 がさがさがさがさっ!
 向こうの木に止まっている黒い物体に気づいたのだろう。彼女は突然走り出した。しかし、そちらは急斜面。
 がしっ。
「……少し落ち着け」
 ため息混じりに肩を掴み、今日もこいつのお守りで大変な目にあうのかと、気分が落ちた。
 ま、虫取りとかは俺だって嫌いじゃないけどよ。

 山中では足場が悪いということで、罠だけ仕掛けて平野へ戻ることにする。
 バナナを焼酎で漬けたものが虫を引き寄せるには最適である、という情報を以前テレビで入手したが、今回のお誘いは当日朝に受けたため用意など出来ていない。仕方がないので、鵬塚兄が用意していたスイカを全員でしゃくしゃくと貪り、その残骸をよさげな木の上に置いておく。夜中に見に来れば何かしらいるだろう。
 加えて、白い布を木に吊す。夕方くらいに来て、ライトを当てることにしよう。こちらもまた鵬塚兄が用意した。何とも用意が良いことだ。総理大臣殿はずいぶんとお暇らしい。
 そのような仕掛けを数カ所に設置し、俺たちは下山した。下山というとずいぶん大仰な印象だが、そこまで奥地に分け入っていたわけではない。野の花が咲き乱れる平野から10分程度奥へ向かっていただけだ。
「ふぅ。足痛い。運動不足かな」
 荷物の上に腰掛け、尚子が言った。
 ふっ。情けないことだ。
「……なに得意げな顔してるわけ? あんたなんてあたしよりも運動不足に決まってるんだから、どうせ明後日くらいに筋肉痛になるのが落ちよ。あーやだやだ。若いくせに遅れてくるなんて」
「勝手な予想をして哀れむな! 俺が運動してないとなぜ言い切れる!」
「してるわけ?」
 してないが。
「と、そんなことよりも……」
「また都合が悪くなると話しを逸らす。まったく情けない」
 るせぇ。
「鵬塚が5歳児のように走り回っているが。はしゃぎすぎるなと注意すべきじゃないか?」
 現在、鵬塚はモンシロチョウを追いかけて平野を右へ左へ駆けている。モンシロチョウなど町中でも見かけるだろうに、何故テンションがあがるのか理解できない。と、今度はトンボを追いかけ始めた。あのくらいの大きさのトンボもまたよく町で見かける。本っ気ではしゃぎすぎだろ。
 尚子も同意見だったようで、鵬塚の方へ駆けていく。
「真依! 今日は夜まで虫取り三昧なんだから、チョウチョやトンボで体力つかってたら保たないよ!」
 適切な指摘である。鵬塚もしぶしぶながら納得した模様。戻ってきた。
 ――と。
 びゅっ!
 風を切って翔ける大きな影。その姿を町中で見ることは珍しく、学校にでも出現しようものならば瞬く間にアイドルとなることは必至!
「鵬塚ぁ! 虫網渡せぇ!」
 だっ!
 駆け出し、鵬塚とのすれ違いざまに虫網を受け取る。
 そして、俺は翔けて行く憎い存在、オニヤンマを追いかける。
「待ちやがれえー! トンボ狩りの泰司くんから逃げられると思うなよおぉー!」
「何年前のあだ名よ…… けどまあ、オニヤンマともなればテンションが上がるのもわかるか」
 だっ!
 呟く尚子の隣から、勢いよくスタートダッシュをかける鵬塚。星に選ばれた者は、その体に宿る力ゆえか身体能力が高いらしい。素早い動きでオニヤンマに迫る。
 俺も負けてられん!
 だだだだだだっ!
「……若いねぇ」
 年寄りたる鵬塚兄は、荷物に腰を下ろして頬杖をついている。ちっ、役に立たん!
 びゅびゅっ!
 超スピードで直線を行き、更には高く上昇するオニヤンマ。
 しまった! これでは手が出せん!
 ちっ。かくなる上は仕方がない。
「鵬塚! 飛べ!」
 まわりに人など居ないこの環境。多少の無茶もご愛敬だ。虫網を鵬塚へ放ってよこす。
 すっ。
 瞑目し、ふわりと浮かぶ鵬塚。その時、風が平野を駆け抜け、野の花が曲線を描く。
 続けて、鵬塚はきっと上空を睨み、びゅんっと勢いよく上昇した。
「ふぅ。あまり無茶をしないでくれないかな。まぁ、念のため人払いはしてあるけれどね」
 ぼやく鵬塚兄。とりあえず無視。
 鵬塚がオニヤンマを追い越し、Uターンする。虫網を構え――

 虫かごの中には雄々しい姿があった。オニヤンマの入った虫かごとは、何とも充実感に満ちたその見た目よ。
 あのあと、オニヤンマやギンヤンマ、トノサマバッタ、アゲハチョウなど、幾匹も素晴らしい御姿をお見かけし、あるいは鵬塚が、あるいは俺が、あるいは尚子がそいつらを虫網で捕獲した。捕って直ぐ逃がしたやつもいるため、虫かごの中にいるのはほんの一握りである。しかし、写メはばっちり取ってある。
 なんたる充足感!
「いやあ。虫取りも久しぶりだと楽しいな。特にオニヤンマとかトノサマバッタなんて、最近はとんと見かけなかったからよ。あの大きさは本っ気でテンションが上がるぜ」
「分かる! 特にトノサマバッタってコラクエに似たようなモンスター出てきたし、めちゃテンションアップよぉ!」
「……スタ……まに……みた……」
 尚子の言葉を受け、鵬塚が満面の笑みを浮かべて虫かごをかかげた。『モンスター仲間にしたみたい』と言っている。確かに気分は魔物使い。仲間モンスター制度を考案した人間は素晴らしい!
 その後も俺ら3人でコラクエ談義を交わしたり、虫たちの雄々しく素晴らしい肢体をたたえたりしていた。すると、とうとう音を上げる年寄りひとり。
「君たちが子供のような純真な心を有していることは十分に分かったが、そろそろお腹が空かないかい?」
 と、鵬塚兄のお言葉。
 ふむ。確かに走り回ったおかげで腹の虫が鳴いている。
 ぐぅ。
 俺の腹がまず主張し、続けて尚子、鵬塚と連続で腹が鳴った。汗もたっぷりかいていることだし、休憩がてら何かつまむとしよう。
「今日の弁当はなんだ? 永治さん」
「僕が当然用意しているような物言いだね。まあ、用意しているのだが」
 苦笑しつつ、荷物から重箱を取り出す鵬塚兄。それを俺に持たせ、ビニールシートを取り出して敷く。尚子が大きめの石をその4隅に置き、風で飛ばないようにした。そして、鵬塚は割り箸と紙コップを荷物から取り出す。
 あっと言う間に昼食――には遅いため、多めの3時のおやつとでも呼ぶべき食事が出そろった。
「ほら。ウェットティッシュをどうぞ。お子様がた」
 くすくすと笑いつつ、鵬塚兄が箱ごと渡してよこした。
 汗だくの顔や首筋、腕などを拭く。適度な冷ややかさが心地良い。ついでに麦茶のペットボトルも開け、紙コップになみなみと注ぐ。
「ほれ」
 鵬塚と尚子に渡すと、それぞれ礼を言った。俺自身もコップを持ち、一気に飲む。
 ぐっぐっぐっぐっぐっ。ぷはぁ。
「うまい! さて、永治さん。飯もくれ!」
「こっちがおにぎり、こっちがおかずだよ。これはフルーツが入ってるから後でだね」
 おぉ! 美味そう! これで作ったのが男でなければ言うことなしだ。
 ぱんっ。
『いっただっきまーす!』
 手を合わせて元気よく挨拶。
 勿論、鵬塚の声は例に漏れずほぼ無音で、高く青い空へと吸い込まれるまでもなく消え去った。

 食い終わってしばらく休み、それから再び活動を開始する。ミンミンゼミ、アブラゼミ、エゾゼミなど各種蝉たちを捕獲すること小1時間。特にエゾゼミは普段お目にかからないため、俺のテンションを上げてくれた。
 素晴らしい! 素晴らしいぞ!
「……ミン……どり……いい……」
 鵬塚はミンミンゼミの緑の模様が気に入ったらしい。微笑みを浮かべて見つめている。
 確かにあの緑色の模様は何となく胸が高鳴る。
「よかったね、真依」
 コクコク。
 尚子に頭を撫でられ、満足そうに頷く鵬塚。尚子は尚子で何やら非常に嬉しそうである。双方共に楽しそうで何よりだ。
 鵬塚は蝉をたくさん捕ることができて、なおかつ、その喜びを親友と分かち合えて満足なのだろう。
 一方尚子は、鵬塚と同じ理由もありつつ、空を自由に飛び回るファンタジーな鵬塚を存分に見られて満足という理由もありつつ、といったところだろう。鵬塚はオニヤンマの時同様、蝉を追いかけ回して野山を文字通り飛び回っていた。
「おーい! 君たち!」
 その時、鵬塚兄が叫んだ。そろそろ白布にライトを当てにいこうとのことだった。確かにもう薄暗くなってきている。
「全員で行くことないだろ。全然動いてない永治さんだけで行ってくればよくね?」
 適切な提案に、なぜか鵬塚兄は渋い顔をした。
「富安くん。君ね…… まあいいんだよ。スイカの皮にもうカブトムシやクワガタがかかっていた場合、第一発見者かつ捕獲者は僕になってしまうけれども、君たちが構わないと言うのなら――」
「……しが……く……!」
 ばっ!
 勢いよく立ち上がる鵬塚。
 結果、浮き足立っているこいつを1人で山中へ向かわせると危ない、ということで、全員で行くことになった。ったく、面倒くせぇ。

 ぐおおぉおぉおお!
 熊がいた。この地域にはヒグマは居ないはずなので、ツキノワグマだろう。どうでもいいが。
 じりじり。俺と尚子はゆっくりとあと退る。
 一方で、鵬塚と鵬塚兄は普段通りの様子で佇んでいる。
「真依。万が一の場合はレベル1まで許可するが、なるべくレベル0以内で追い払え。出来るか?」
「……ん……」
 ぶんっ。
 何やら妙な音が響いたあと、鵬塚はびゅっと飛び出した。熊はそのあとを追い、凄いスピードで駆けだしていく。
「ちょっ、真依大丈夫なの!?」
 無謀にも尚子が追いかけようとするが、それを鵬塚兄が止める。
「おっと。ここを動かないように。せっかく真依が障壁を張っていってくれたんだからね」
 先程の妙な音は障壁とやらを生み出したものだったらしい。去年の8月頃『大砲であっても防げる』と言っていたことだし、熊さんの1撃くらいは余裕で防ぐのだろう。
「それに真依なら大丈夫さ。飛んでいれば熊に手出しできるものではないし、ここに張っていったのと同じ障壁を常時身にまとっている。万が一にも危ないことはないよ」
 と、鵬塚兄の言葉。その言葉に偽りはないだろう。
 遠目に見える鵬塚の動きがどこぞのアクション映画か、という具合である。熊のまわりを飛び回り、時に岩を、時に小枝をひっきりなしに飛ばして攻撃している。熊は払いのけるのに急がしそうだ。
「戦闘BGMが聞こえそう……!」
 瞳を輝かす尚子。正直わかるぞ。魔法のような力――星術を駆使して熊と戦う少女。ファンタジーRPGっぽくてワクワクが止まらん。いや、ワクワクしてる場合じゃないのかもしれんが。
 ひゅっ!
 大きめの岩を両手で抱え、鵬塚が急スピードで熊から離れていく。熊はその後を追い――
 そこで鵬塚は急旋回し、熊に真っ正面から突っ込んでいく。熊の大きな腕が鵬塚めがけて振るわれる。
「なっ!」
「真依っ!」
 焦った声を出したのは俺と尚子だけだった。鵬塚兄は相変わらず余裕の笑みを浮かべて佇んでいた。
 そして――
 がっ! どぉんっ!
 鵬塚の手を離れた岩がスピードにのって飛び出し、熊の脳天に直撃する。それでいて、熊の決死の一撃は鵬塚の体を切り裂くかどうかというところで弾かれた。障壁とやらの効果なのだろう。
 熊は巨体をゆったりと倒し、地面に伏した。
 びっ。
 得意げな顔でこちらにVサインを送る鵬塚。
 星に選ばれた者――星選者の名はだてじゃない、とか言うとこの星に失礼か。こんな虫取りついでの熊退治で評価されても、だよな。

 熊騒動がいち段落ついて、俺らは白布にさっそくライトを当てた。そして、置いておいたスイカの残骸をチェックする。すると、カブトムシが1匹、食事中だった。
「……っこ……い……!」
 瞳を輝かせ、捕まえた黒光りする1本角の昆虫を高く掲げる鵬塚真依。先程熊をやっつけた奴と同一人物とは思えない。ただの子供その1だ。
「他にはいないようだし、もう少し暗くなるまでコンビニに軽めの夕ご飯を買いに行くかい? 来る途中にあっただろう?」
 鵬塚兄の言葉通り、ここへ至るまでにコンビニエンスストアが1軒だけあった。絶対に車がないと来れないだろ、という位置にあるそれは、コンビニの名を返上しなければならないだろう。
 そんなことはともかく、薄暗くなってきた現状では他の昆虫を探すにも視界が悪いということで、鵬塚兄の提案に従って一時下山することにした。しつこいようだが、下山といってもそこまで山深い場所にいるわけではない。
 乱立する木々の合間を抜けて、道路に止めていた鵬塚家所有の車へと至る。助手席に俺、後部座席に鵬塚と尚子、そして運転席に鵬塚兄が乗り込み、出発した。暗い道をしばらく進むと、視線の先に煌々と輝く青色の看板が見えた。
 きっ。
 静かに停車し、鵬塚兄はサイドブレーキを引く。
「さ。降りなさい。弁当でもおにぎりでもカップ麺でも好きなものを買っていいよ」
 ほぉ。好きなものと言われれば、極力高いものを買うのが奢られるものの義務よ。
「そうだ。飲み物は?」
「お酒以外ならお好きなように」
 ちっ。真面目な奴だ。まぁ、別に酒を飲みたいわけではないがな。
 ん。そーいえば……
 ふと思い立ち、俺はコンビニの自動ドアに向かわずに、明かりが漏れ出ているガラスに近寄る。バチバチッと上の方で虫が焼け墜ちる音が聞こえる。
 そのような中、被害を逃れて元気にしている影もある。
「やっぱな。鵬塚! ちょっとこい!」
 とてとて。
 素直にやって来る鵬塚。その後ろには尚子の姿もある。
「どうしたのよ?」
「ほれ。ノコいたぞ」
 ぱああぁああぁあ!
 鵬塚の瞳がコンビニの発する光以上に輝き出す。こいつは見る虫全部に感動しすぎだ。仕方がない節はあるかもしれないが、昆虫1匹を餌にするだけで容易に誘拐できそうなのが不安だ。
「……いい……! ……っこ……いい……!」
 ふんふんと鼻息荒く、ノコギリクワガタを注視する星選者殿。今日び小学校低学年でもここまで素直じゃないだろう。
「ほれ。やる。虫かご持って来い」
 コクコク!
 たったったったっ!
 鵬塚兄から鍵をひったくり、車へと駆けていく鵬塚。多数ある虫かごのうち1つを持ってくる。
「真依、嬉しそうでよかった」
「まあな」
 尚子の甘すぎる評価に思わず同意し、俺は自分自身に苦笑する。何だかんだであいつには甘くなりがちだ。生い立ちに同情的なのはもとより、何だかんだで好きだからだろう。
 念のため言っとくが、友人、いや、親友としてな。
 とことことこ。
「……こちゃ……」
「? どうしたの?」
 先程までのテンションはどこへやら、ゆっくりと歩んできた鵬塚は少しばかり落ち込んで見える。その原因は、虫かごの中にあった。
 狭い場所に閉じ込めたのだ。どこまでも続く空や大地に生きていたものが弱らない道理はない。オニヤンマもギンヤンマも、モンシロチョウやトノサマバッタも、捕まえた当時の騒々しさはない。夜中だからという理由もあるやもしれないが、どう贔屓目に見ても弱っている。
 鵬塚のテンションが下がった要因は間違いなくそれだった。
「……狭いところに閉じ込めちゃったから、かな。仕方ないよ」
「………………」
 尚子の言葉を受け、鵬塚は泣きそうな顔で俯く。そして――
 かっ。
 虫かごの蓋を勢いよく開けた。まずオニヤンマとギンヤンマが、続いてアゲハチョウが、最後にトノサマバッタが飛び出した。それ逃げろと先を競って自由を手にする。
「……よかったの?」
「……ん……うに……る……りは……に……るか……」
 鵬塚は自由をずっとずっと奪われて生きてきた。鵬塚兄の努力がなければ今もそのままだったかもしれない。
 だからだろうか。彼女は言った。『自由に生きる権利は誰にでもある』と。
「ノコ、どうする?」
「……しん……る……!」
 陰っていた瞳は徐々に光を取り戻し、鵬塚は再び笑顔を浮かべた。それで満足するなら安いものだ。
 ぱしゃっ。
 ノコギリクワガタを掲げて楽しそうに笑う少女を、俺は携帯電話を構え、写した。

 車の中で弁当、おにぎり、カップ麺を食し、俺らは態勢を整える。
 捕まえた虫は全て逃がすことにしたとはいえ、仕掛けた罠にどれだけ目標が集まっているかは未だ気になるところだ。まだまだ楽しむ気まんまんである。
「あたしはミヤマクワガタ好きなんだよねー。真依、知ってる?」
「……かん……た……!」
 図鑑で見たそうだ。
 しかし、図鑑と実物ではやはり迫力が違う。くくく。本物を見て感動にうちひしがれるがいい。
 ……まあ、まだミヤマが捕まるとは限らんが。
「さて、そろそろいい時間だし行こうか。あらかじめ言っておくけれど、あまり仕掛けに集まっていなくても、この後は帰るからね。富安くんはともかく、速水さんをあまり遅くまで連れ回しているわけにはいかないからね」
 俺はともかく、というのが物言いとして気に食わんが、一般的に女の子を夜遅くまで連れ回してはいかん、というのは納得できるな。尚子もあれで一応、本当に一応女の子の部類に入る。
「何となくむかつく顔してるわね……」
「気のせいだろ」
 変なとこで勘のいい奴だ、まったく。
 がさがさ。
 大きめの音を立てつつ先に進む。熊などの野生動物は普通人間を怖がるものだ。こうして音を立てて自己主張しておけば、先程のように出会い頭の戦闘行為に走ることもあるまい。
 ライトの光が近づいてくる。光を当てた白布はずいぶんと目立つ。昆虫が寄るのも分かるというものだ。
 そこへ至るまでの道程にて、スイカの残骸を仕掛けていた木が1本あったのでのぞく。残念ながらそこには蟻くらいしか集っていなかった。今日びの昆虫はスイカ如きではそうそう満足しないということか。
 ぶんっ。ぶんっ。
 照らされる布へ近づくにつれ、耳をつき始めるノイズ。甲虫たちの羽音である。中々に期待できそうではないか。
 木々の間から光が瞳を刺激する。白布の表面には多数の黒が蠢き、あたかも漆黒の布であるかのよう。
「わぁ…… すっごいいっぱい。みんな、真依を歓迎してるんだよ」
「……しい……!」
 本日何度見たかわからない。小学校低学年のような瞳の輝き具合。
 さて、集まり具合は成功と言えそうだが、『何が』来ているかも気になるところだ。カナブンも多そうだな。蝉もいる。お。ミヤマいた。
「おーい。鵬塚。尚子。ミヤマいたぞ」
「ホント!? わぁ、相変わらずかっこいい。雄々しい姿に心ときめくわー」
「……みや……ん……しん……!」
 感嘆している尚子と、布の前でピースしている鵬塚。写真を撮れと言うが、ああも明るい背景ではまともに写らないだろう。
「捕まえてこっち持って来い。暗いとこでフラッシュたいた方がまともに写るだろ」
 とことこ。
 ライトの裏側へ向かいながら手招きをする。さて。フラッシュ機能ってどうやるんだっけ?
 普段使わない携帯電話の機能と格闘しつつ、歩みを進める。
 と、その時――
「泰司!!」
 あん? 褒められこそすれ、叱責されるいわれはないぞ。
「オオクワいた!」
「なあぁああにいいぃいぃいいっっ!!」
 叫び、駆け戻る。
 尚子が震える指で示す先には、確かに皆のアイドルオオクワガタが!
「ちょ! 永治さん、俺も写真撮って! 頼む!」
「あたしもあたしも!」
 俺と尚子で、少し離れた場所に佇んでいる鵬塚兄を手招きし、早口でまくしたてる。
 なぜか彼は嘆息した。
「……君たち、年偽ってないかい?」

 ぶるるるる。
 静けさの満ちた車内にエンジン音だけが響く。八沢市内へ向かう道中、鵬塚も尚子も後部座席で寝息を立てていた。
 道路は、前方のテールランプがもの凄く遠くに小さく見えるくらい車通りがない。その上直線であるため、外的刺激が少なく、否応なしに眠気を誘う。夜中ということで、風景を楽しむことが出来ないのも残念だ。
「富安くんも眠っていいんだよ? 疲れているだろう? 僕は今日ほとんど動いていないし、八沢市内までは眠気に襲われることもなく安全運転でいけるから」
 ステアリングを右に切りつつ、鵬塚兄が言った。
 助手席で眠られたら嫌だろう、ということで必死で起きていたのだが、そういうことならばお言葉に甘えさせていただこうか。正直なところ滅茶苦茶眠い。流石に、はしゃぎすぎた。
「そうか。じゃあ遠慮なく」
 すぅっと瞳を閉じると、何の滞りもなく眠気がやって来る。
 ……こいつは……即時…………落ちられそう…………
「ありがとう」
 ……ん……………今……………何か……………ぐぅ。



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