第5話『学びを修める者』 06




 俺は今、女風呂を覗ける場所を探している。
 勘違いしないで欲しい。自主的にではない。更に言えば、本気で見つける気もない。これは言わばお祭りなのだ。
 つい数十分前に、八沢高2年生共は、卿都観光の一日目を終え、ホテルへと到着した。ロビーで各種注意を受けてから10人雑魚寝部屋に案内され、同部屋の太郎を含めた馬鹿数名の提案で、夕食までの空き時間で覗きスポットを探そうという、頭の悪い時間を過ごすことに相成ったのである。
 このホテルの大浴場は地階にあり、窓から覗くことは不可能と思えた。それでも数名は、1階を彷徨って地下へと続く空間が無いか、一縷の望みにかけているようだ。地階と言いつつ、地下に埋没していないケースはままある。勝ち目が全くないわけではなかろう。
 一方で俺は、先ほども言った通り、そもそも見つける気がない。というか、見つかると思っていない。そんなホテル、学校側が用意するわけないだろう。頑張るだけ無駄だ。義理でそこらを見て回って、帰る気満々である。
 あー、そういや今日、毎月買ってるグラビア雑誌の発売日じゃん。外出禁止とか言ってたな、学年主任。コンビニ行きてー。
「あら、学生さん」
「げ」
 バス外なのにバスガイドがいた。
「あらあら。随分な反応ですこと。わたくしに恋慕しているというなら、赤面のひとつもして頂きたいものです」
「いやいや。恋慕してないですから」
 相変わらず、変な人だ。
「それはともかく、こんなところでどうしたのですか? 八沢高校の皆さんは、これから2階大広間でお食事をとると聞きましたけれど」
 その通りである。故に、この時間にわざわざ1階をうろついているのはおかしい。不審がられても文句は言えない。
 何か適当な言い訳をせねばなるまい。また妙な疑いをかけられて、精神に異常をきたすようなことをされたら、笑えない。
「どうしたというか、何というか、あれです。散歩的な何か、です」
 いかん。全く駄目な言い訳だ。怪しさしかない。
 天津内女は大きく円らな双眸を2、3度瞬いてから、口元に手を当てて瞑目し、数秒、考え込んだ。漸う、瞳を開けると、真剣な表情で言の葉を操った。
「なるほど。若さ故のリビドーが溢れているわけですね。そういえば、大浴場の窓から上階の窓が……あ、いえ、これは漏らしてはいけない情報ですね。危ない危ない」
「……!?」
 まさか。本当に覗く余地があるというのか。というか、内女さんは入浴後だというのか。そういえば、バス内とはまた違ったいい香りが漂って……
「うふふ。学生さんは顔に出ますね。かわいいですこと」
「へ?」
「ということですから、あまり警戒は必要ありませんよ」
 彼女の言葉を契機として、背後に気配が生まれた。
 気配などと言うと大仰だが、平たく言えば、息遣いと足音が突然聞こえてきたのだ。直前までは完全に無音だったというのに。
 急いで振り返ると、去っていく後ろ姿だけが見えた。浴衣姿の普通の男性にしか思えなかった。
「同級生とお泊り旅行ということで興奮する気持ちは理解いたしますが、おかしな行動は慎んで頂くべきかと。わたくしはギャルゲー、BLゲー、乙女ゲー諸々で、お風呂イベントというハードルを何度も乗り越えた結果、お気持ちを推察することが出来ますけれども、一般の方では少々その域に達するのは酷ではないかと考えるわけで……」
 再三にわたり変な人だ。
「えっと、今の人もバスガイドさんの仲間なのか?」
「どなたか存じ上げませんけれど、学生さんの言うように『仲間』ではありますね。聞き及んでいる特徴から推察するに、国津の――少彦名(すくなひこな)さんでしょうか。学生さんと同じような怪しい子を3名ほど、気絶させて部屋に運んでいましたね。お仕事熱心なようで、何よりです」
 物騒だな。まあ、その分、鵬塚の安全が守られる可能性が高くなるのなら、感謝せねばなるまいが。
「さて、わたくしは出かけるといたしましょう。うかみんと約束がありますので。そうそう。先ほどの窓の件は出まかせですので、早々に諦めて夕食までお部屋でお休みされるのがよろしいかと存じますよ。それでは」
 相も変わらず巫女服姿の女性は、ゆったりとした所作で最敬礼をし、ロビーへと向かった。
 入浴後だと言っていた気がするが、彼女はいったいいつ巫女服ではなくなるのか。まさか着替えが全て巫女服なのではあるまいか。
 やっぱり変な人だ。

 大きな湯舟からはゆらゆらと湯気が立ち昇り、空間に湿り気を産んでいた。
 浴場に集った若い肉体は艶やかさで満ちていた。うなじや背筋を流れ落ちる汗は、そのまま臀部へと達し、水滴として中空へ解き放たれ、青瑪瑙の床を叩いた。同様に、首筋を流れて胸部を伝った数滴は、桃色の突起の付近をかすり、腹部、秘部へと続き、やはり、中空へと飛び出して青瑪瑙を弾いた。
 巨大な乳房を揺らして8組の松田が湯船に入った。高2にしてあのようなわがままボディを抱え、今後の人生が心配である。
「なあ、泰司」
「あ?」
「男子の裸を眺めて楽しいか?」
「楽しくねえ」
 当然のことを聞きやがる太郎である。楽しいわけがあってたまるか。
「そうか。そうだよな。泰司が本当にBLだったら今夜が心配すぎると、同部屋のやつと戦々恐々してたんだよ」
「ざけんな」
 高い天井を見上げ、広い湯船に足を伸ばす。家風呂では出来ることでなく、特別感もひとしおだ。これだけで修学旅行に来た甲斐があるというものだ。惜しむらくは、一度に入る人数が多過ぎ、かつ、入浴時間も制限されているところが残念である。4クラスが1度に入り、30分で出ろというのは、結構な無茶ぶりではないか。
 そういえば、3組とは分かれたのか。クロードは頭髪以外の体毛も金色なのか、少し気になるな。
「ところで泰司さんや」
「何だ」
 また変なネタだったら無視しよう。
「覗きは無理でしたが、女子の声が微かに聞こえてくるのは中々に昂ぶりますなー」
「うむ」
 思わず即答してしまった。
 太郎の言う通り、当然ながら覗きは無理だった。しかし、男風呂と女風呂は隣り合っている構造のようで、女子の騒ぐ声が聞こえてくるのだ。だから何だと言われればそれまでなのだが、同年代の女子の声を聴きながら風呂に入るというのは、思春期男子には得も言われぬ興奮を与えたもうたわけで……
「あの声、6組の木村かな。普段からテンション高いやつだけど、めっちゃ声響いてんなー」
「風呂だしな。それに、旅行先でテンション上がるのは、まあ、普通だろ」
 同級生との裸の付き合いともなれば、普段は絶対発生しないイベントだしな。知らず知らずのうちに興奮もするだろう。内女さん流に言えば、イベントスチルゲットのチャンスではないか。
 ところで、何かを忘れている気がする。
 旅行先。裸の付き合い。上がるテンション。
 ふむ。思い出した。が、どうにもならん。
 そう。どうにもならんのだ。急いで部屋に戻って、プレーヤーを持って来たところで、どうしようもない。今、あいつは俺も尚子もいない場所で、人知れずテンションを最高潮に上げ、この瞬間にも手遅れになってしまっているのかもしれない。
「まあ、いいか」
 開き直ることにした。
 テンションが上がった程度なら、世界のどこかで小規模の災害が起きるくらいだという。小規模というのがどの程度かは知らないが、そこまで深刻ではないに違いない。そう信じよう。いや、そう決めた。
 せっかくの修学旅行であるのに、そうそう、鵬塚のテンションの心配ばかりしていられるか。本気で問題があるなら、鵬塚兄がもっと真剣に頑張れ。
 俺は、男子の裸と女子の声音を楽しむのに忙しい。いや、一部訂正する。男子の裸は楽しんでいない。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空……」
「キャー!!」
「へ?」
 突如、般若心経と悲鳴が聞こえた。女風呂からだった。
「富安ー!」
「は?」
 そして、何故か俺を責める複数の声も聞こえた。
「どこに隠れてんのよ! 出てこい! 真依ちゃんのこといぢめるために女湯まで来るとかどーゆーこと!」
 何これ。こっそり潜入した俺が、朝同様にプレーヤー再生したと思われてる流れ?
 いや、んなわけねえだろ。
「俺は男湯にいるわ! そっちこそ何ださっきのお経!」
「え? そっちいんの?」
「そりゃそうだろ! 女湯潜入なんて出来るわけあるか!」
「まあ、そっか。じゃあ何、さっきの!」
「俺も知らん!」
 般若心経といえば富安みたいな流れは本当にやめて頂きたい。しかし実際のところ、何だったのだろうか。声質も似ていた気がする。まさか、鵬塚兄が権力を駆使して、音源である女性をも巻き込み、女湯に潜ませたわけではあるまいし。
 何やら女子風呂の方では心霊現象疑惑が上がっているようであり、慌ただしく撤収していく様子がうかがえた。女子の声がどんどん減っていく。それは男子風呂も同様で、何名かは気味悪がって出て行った。他の者たちも、思い思いに湯船に浸かり、満足すると上がっていった。
「俺らも出っか。女子の声を楽しむことも出来なくなったし」
「おっけ」
 太郎の言葉を受け、一度、湯舟を両手ですくい、顔に叩きつける。熱いお湯が心地よい。
 ふう。さてと……
「手間をかけさせないで下さい。トミヤスタイジ」
 ぞわ。
 急いで振り向いた。しかし、そこには壁しか無かった。
 そうでなくとも、ここ男湯で、女性の声が耳元で聞こえるわけもなかった。
「どした、泰司」
「……いや……」
 声が上手く出なかった。
 恐怖心で判断力が鈍っているのでなければ、先ほどの声音は、プレーヤーの般若心経と同じもののように思えた。透き通るような綺麗な高音でありながら、どこか冷たさを感じさせるまでに硬い声質が、いまだに耳朶に残っている。
 あれには何か謂れでもあるのだろうか。とりあえず、鵬塚兄を問い詰めねばなるまい。



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