第1話『星に選ばれし者』 09




 ばっ。
 覚醒し起き上がると見慣れない場所にいた。ごく一般的な家庭のごく一般的なリビングルーム、といった感じの部屋にいた。
 ……おかしいぞ。俺はコンビニから少し離れた辺りにある電信柱の側で、転校生の鵬塚真依と共に会話を弾ませていた――いや、弾んではいなかったが、とにかく、あいつと一緒に外にいたはずだ。どうしてまた、こんなところにいる?
「ああ。気がついたかい?」
 キョロキョロと部屋を探っていると後ろから声がかかった。
 慌ててそちらに目をやる。そこには痩身の男性が佇んでいた。整えられた黒髪。茶色がかった瞳。綺麗に通った鼻筋。どれをとっても評価を下げるのは難しいと思われる顔立ち。
 もっとも、いま大事なのはそんなことではない。彼が美女だったなら話は別だが、俺にとって益になり難い美形野郎なのだから決して大事ではない。俺がいま優先すべきことは、現状の把握である。
「あんた誰だよ。それにここは?」
「そう警戒しなくてもいい。怪しい者じゃないよ」
「この状況じゃ、あんたはどうあがいても怪しい」
 男性は肩を竦め、もっともだ、と呟く。そして苦笑し、後方に視線をやって、来なさい、と何がしかに呼びかけ手招きをした。
 そんな男性の行動に伴って現れたのは――
「鵬塚……」
 無地のシャツとロングスカートというシンプルないでたちの鵬塚真依だった。
 ……本気でどういう状況だ。
 俺が男性に訝しげな視線を投げかけると、彼は軽く笑んで俺が横になっていたソファの真向かいに腰掛けた。鵬塚の奴も男性の隣に腰掛ける。そして、男性が口を開く。
「改めて自己紹介しよう。僕の名前は鵬塚永冶。真依の兄だ」
「鵬塚の兄貴……?」
 確かに、髪や瞳の色、そして何より、整った顔立ちがよく似ている。
 これで男の素姓は知れた。知り合いの身内という肩書きがある以上、怪しい者ではない。しかし、今の不可解な状況を鑑みれば、すっかり安心してしまうことなどできやしない。
「僕の素姓が知れただけでは不満なようだね。ではそうだな。君がなぜ、いま現在ここにいるのか、それを説明するとしよう」
 そいつは素晴らしいチョイスだ。困ったことに、鵬塚と会話していた以降の記憶が全くないからな。
「まず君を招いた理由だが、真依にあそこまで積極的に話しかけてくれる子は珍しかったのでね。この機を逃す手はないと思い、真依に電話して連れてくるように言った。真依と今後も仲良くしてくれるように頼もうとしたのだよ」
 残念ながら俺の知りたい情報とは少しずれている。ただ、少し気になった点があるので、彼の開示した情報に関連してひとつ質問をはさむ。
「あんた、何で学校での俺や鵬塚の様子が分かったんだ?」
 まさか盗聴器を使っていたわけではないだろうが。
「盗聴器を真依に持たせていたんだ。もっとも、真依がその存在を認識しているわけだから、『盗聴』にはならないけどね」
 ……まさかの大正解だった。
「ちょっとした事情があって、真依の身辺状況はきっちりと把握しておく必要があるんだ。それより、ひとつ頼みたい。今後も……」
 そう口にして、鵬塚兄はこちらを真剣な瞳で見詰める。先ほどの、鵬塚と仲良くしてくれるかどうか、という話だろう。まあ、絡みづらいとはいえ、少し気を遣えば意思の疎通も可能なんだ。適当に仲良くする分には問題などない。
「別にいいよ。席も隣同士なことだしな」
 肯定的な意思を示してやると、鵬塚兄は満足そうに笑み、鵬塚もまた口もとを緩めた。
 ま、喜んでいただけて何よりだ。じゃ、その話はここまでだな。続けて、今一番気になっていることを訊かせてもらおう。
「ところで俺、ここに来るまでの記憶がないんだけど、何で?」
 俺がそう口にすると、鵬塚兄は苦笑し、懐を探って手の平大の黒い物体を取り出す。それは、一般人たる俺としては映画などでしかお目にかかれない稀有なものだった。もっと分かり易い言い方をするなれば、拳銃だった。
「ああ。安心してくれ。麻酔銃だ」
 麻酔銃だと言われても、心から安心できるはずもない。モデルガンだと言われたならば別だったろうが……
「な、何でそんなもん持ってるんだよ?」
「最近、世の中は物騒だからね」
 あんたが物騒だよ。
「君が途中から記憶がないのはこれで眠ってもらったからだ。まったく、真依は口下手でいけない」
 ん?
「ちょっと待て。じゃあ何か。俺にそれを撃ち込んだのは――」
「真依だよ。護身用に持たせていたのだが思わぬところで役に立ったな」
 コクコク。
 笑みを浮かべて顔をあわせる兄妹。
 こ、こいつら……
 疲れを覚えて頭を抱えていると、鵬塚が心配そうな視線をこちらへ向けてくる。疲れてるのは主にお前のせいだけどな。
「まあ、君の記憶がなかった点についてはこれでいいだろう。……どうにも機嫌が悪そうだが、堪えてくれるかい? 真依と友達になってくれるという君には、まだ頼んでおきたいことがあってね」
 文句を言い連ねたい気分ではあったが、加害者たる鵬塚に文句を言ったところでマゴマゴするかすまなそうに頭を下げるかする様子しか予想し得なかった。俺が苛めているような図が出来上がってしまうのも不本意なので、ここは鵬塚兄の言うとおり堪える。
「で? 頼んでおきたいことって?」
「真依の感情の起伏に気を遣って欲しいんだ」
 感情の起伏? こいつにそんなものがあるのだろうか。
 そんなことを考えながら鵬塚に目を向ける。鵬塚は、いつの間に用意したのか、コップに入ったジュースをチビチビと飲んでいた。鮮やかなオレンジ色をしているため、まあ、オレンジジュースだろう。更に俺のどうでもいい主観を入れるなら、炭酸入りではないだろうことが予想される。鵬塚は炭酸を飲むと涙目にでもなって困りそうなイメージがある。……んなことはどうでもいいか。
 とにかく、こんなスローライフを送っているような奴が激したり、爆笑したり、号泣したりする様を想像できない。
「真依は口下手で感情表現に乏しいところはあるが、それでも人間で年頃の女の子だからね。万が一にも激昂したり、深く傷ついたりしないとも限らない。そうなられると少々困る事情があるんだよ」
「困る事情っていうのは?」
「……それは、できるなら話さずにすませたい。君にも少なからず迷惑がかかるだろう」
 それを言ったら、こうして鵬塚家に無理やり連れてこられた時点で迷惑なのだが…… まあ、そこをまぜっかえしても仕方がないか。
 それに、感情の起伏によって起こり得る厄介事なんて限られている。大方、何かの病気でも抱えているのだろう。それを知ったからといって俺が困るというのも妙な話だが、そこはあまり気にしないことにする。しかし――
 鵬塚に視線を向けると、眼が合った。
 マゴマゴ。
 ……社会不適合者には見えるが、病人という風には見えないな。病人特有の悲壮感みたいなもんがない。第一、登校時は知らないが、下校時は歩いていた。ともすると、それほど重い病気でもないということか?
「一番の対処法はずっと家にいて人と関わらないことだ。それゆえ、真依はこれまで学校に通っていなかった」
 鵬塚兄がため息をついた。そうしてから、隣に座る鵬塚を見やる。
「しかし、この子が今年になって突然、高校に通ってみたいと言い出したのだ。学校のような人間関係が複雑な場に出すなど、許可するわけにはいかないが……」
「でも、許可したわけか」
 そうでなければ、鵬塚がうちの学校に転校しては来ない。
「そういうことだよ。……この子が自分から何かしたいと言い出すのは珍しくてね。叶えてやりたいと思った」
 なるほど、シスコンというやつか。
「何か失礼なことを考えていないかね?」
 あんたはテレパスか。
「気のせいだ」
「……そうか。ならばいい」
 そう言うと、テレパス、もとい、鵬塚兄は一度咳払いをし、それから言葉を続けた。
「そうして、今年の四月から真依は高校生活を送ることとなった」
 今年の……四月?
「待ってくれ。今は、八月だぞ?」
 つい口を挟む。しかし、それに対して反応を返すでもなく、鵬塚兄は続ける。
「最初に入学したのは四国の徳山だった。十日ほど通わせたが、友人の一人もできず、そのうち、些細なトラブルが発生し、大事をとって転校した」
 些細なトラブルというのが気になるが、声をかけてもまた無視されるのがオチだろう。気にせずに話に集中する。
「次は九州の宮根だったな。あそこはもっと短く、三日だったか。やはり、満足に世間話すらできずに転校の日を迎えた」
 その後も鵬塚兄は、全国津々浦々の地名を口にし、そして、鵬塚の短すぎる学校生活について語った。もっとも、学校生活の内容は、友達ができない、世間話ができない、といった代わり映えのしないものであり、寧ろ気にするべきは驚異的な日数であった。最短で一日。最長で二週間。とんだ武勇伝である。
「見ての通りこの子は社交性に欠けるものでね。ここまで話したように、どこの学校でも友達がいた試しがない」
 もっと長期間いれば、奇跡的に一人くらい友人のようなものができたとしてもおかしくないと思うが、まあそこは事情というやつがあるのだろう。鵬塚兄のいう些細なトラブル、また、鵬塚の病気――病気と決まったわけではないが――が関係しているのかもしれない。
 そのように考察していると、これまでジュースをちびちびと飲んでいた鵬塚が、首を横にフルフルと振って、徐に口を開いた。
「……わた……社交……きな……うだと……おも……」
『それはない』
 俺と鵬塚兄が口を揃えて反論すると、鵬塚は涙目になってプルプルと震えだした。小動物的な反応を示すやつだな。
 ちなみに今の鵬塚語を訳すと『私、社交的な方だと思う』といったところだろう。
 というか……
「おい。あんたの妹、深く傷ついてるぞ」
「これくらいなら大丈夫だよ。僕との会話でもよくああなっているが、いつも問題ない」
 鵬塚がいつもああなってるとか…… 苛めっ子か? 鵬塚兄。
「プルプル震えていて可愛いだろう。アレを見たいがために、たまに苛めることもあるが、それくらいであれば大丈夫だ」
 苛めっ子だな。さらにシスコンだ……
「……にい……ん……嫌い……」
「ああ。嫌いで結構だよ。ふてくされた可愛い顔をこうして見れるのならね」
 頬を膨らませている鵬塚に、鵬塚兄が意地の悪い笑みを浮かべて対している。鵬塚はよりいっそう頬を膨らませ、不機嫌になったことを強調してみせていたが、鵬塚兄はその頬を指でつついて遊んでいる。
 ……なんとも仲のいい兄妹ですこと。
「さて、真依で遊ぶのはこのくらいにして、富安くん」
 初めて名前を呼ばれた気がするな。というか、名乗ったんだったか? ……ああ、盗聴されていたんだから、鵬塚に対して名乗ったのを聞いてたのか。
「真依に関して注意してもらいたいのはそれくらいだ。といっても、それほど気を張り巡らせる必要はないから。君は今までどおり他の友達と話したり遊んだりしながら、たまに真依のことを思い出してやってくれれば嬉しい」
 何だか『鵬塚真依取り扱いに関する説明』みたいなもんでも聞いていたかのように錯覚するな。要するに、四六時中構う必要はないがたまには相手をしてあげましょう、といったところか。世話が少なくても飼える小動物の一例みたいな奴だ。
 当の鵬塚はこちらを真剣な瞳で見ていた。何やら心配そうだ。
 この段階で、やっぱ断る、とか言うとでも思ってるのか、こいつは。
「ま。適当によろしく頼むわ」
 俺はそう口にしつつ、改めて右手を鵬塚の方に差し出す。
 鵬塚はマゴマゴとしていたが、しばらくすると覚悟を決めたように同じく右手を差し出した。
「……ろ……く……」
 よろしく、と言ったのだろう。たぶん。
「ところで、永冶さん。こいつ階段とかで手助けいらないのか? うちのクラス、三階だけど」
「手助け? なぜ…… ああ、そう考えたのか」
 ふと思いついたことを訊いてみると、鵬塚兄は訝しげにこちらに目をやり、それからしばらくしてクスクスと笑った。
 仮に鵬塚が何かの病気だとしたら、我らが二年七組のある三階まで階段でのぼるのはまずそうだ、と考えて訊いたのだが…… この反応から鑑みるに、病気ってわけじゃないのか? もしくは、身体的なもんじゃなくて、精神的なもんだとか? ……すっげえあり得そうだな、こいつの雰囲気からして。
「君は親切だな」
 こちらをしばらくのあいだ見ていた鵬塚兄は、そのようなことを言った。
 ……突然なんなんだ?
「真依に対してくれている様子を盗聴器で聞いている時から思っていたが、好ましい性格だ。まあ、親切な人間というのは何かと損をしがちだが、僕は嫌いじゃないよ」
 コクコク。
 鵬塚兄の言葉に伴い、鵬塚もまた懸命に頷き、彼の言葉に同意していることを示した。
「……そりゃどうも」
「真依をよろしく頼む」



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